全ての重荷を取りの去り人生を軽くしてくださる神様の力

先日、中学生の自転車で買い物に行きました。

娘の自転車は一見普通の自転車なのですが、漕いでみるとまるで鉄か鉛の塊を引きずっているかのようにペダルが重く、歩く方がましという代物です。買ってあげなきゃと思いつつ、高校がどの程度の距離かによって電動にするか普通のにするかを決めた方がよいと思い、先延ばしにしていました。

しかし一緒に走るとあまりにも足を痛そうにして、大変そうにします。なのでいつも替わってあげようかと伝えるのですが、私の電動自転車の車体の大きさに慣れていないために怖いようで、いつも息を切らして走らせていました。

ですがその日は、私の電動自転車に乗ってみるというので替わってあげました。

私は娘の自転車に乗ってみて、想像以上に重くてビックリしてしまいました。見た目は普通の自転車なのに、どんなに頑張って漕いでも思うように進まないのです。娘が乗る電動自転車はスイスイ走って行っちゃうのに、追いつきたくても追いつけなくて。娘についていくのにいっぱいいっぱいでした。

何が原因でこんなに重い自転車になってしまうのだろうかと不思議で、今度新しいのを買いに行くとき、自転車屋さんに聞いてみようと思ったくらいです。

私はこのことを通して、過去の自分を思い出しました。

御言葉に出会う前の私は、全てのことが大きく見えて、いっぱいいっぱいでした。

客観的に捉える力も弱く、理解する力や能力も足りず、何をするにものろのろと行っていました。

仕事をするのもいっぱいいっぱい。脳も働かなくてずっと悩んでいましたので、私以外の人が悠々と生きているように見え、羨ましかったことを思い出しました。

こんなに自転車を乗ってスイスイ走る娘を見て、昔の自分のようだと思ったのです。

ですがこの御言葉に出会い、実践するほど神様の考えの広さを知り、またお祈りをしていくうちに自然と今まで大きく見えていたものが小さく見えるようになりました。

神様の御心をなそうとすることで自分自身の学びにも繋がり、分からないことが一層分かるようになり、あれほど生きづらいと思っていた人生が、日々生きがいや、やりがいに溢れて生きられるようになりました。

そのような日々の積み重ねで確実に自分が変わっていくのを実感していました。


しかし、たまたまある日、なかなか思うように御言葉に従えない一日を過ごしてしまった事がありました。
ちょうどその時、うちの近所で刃物を持った男が目撃されたという情報がありました。

自分がしっかり御言葉に従えてる時は、例えそんな情報が耳に入っても何も怖がる事なくいつも通り過ごしていたのですが、その日は御言葉に従えていなかったことで、神様から守っていただけるだろうかという不安や心配の感情が心に入ってきました。
サタンは巧妙に入ってきます。

小さい頃、ニュースで殺人犯が捕まっていないというニュースが連日流れていたことがありました。自分も被害にあうのではと怖くて怖くて、その恐怖心を親にも言えず、恐れに心が支配された状態で過ごしたことを思い出しました。親に言ったところで、ずっと守ってくれるわけではないことを幼心に分かっていたのかもしれません。

大人になってからも、不安や心配や色んなマイナスの感情が常にありました。

御言葉に従う前のそんな恐怖心を思い出してしまいました。

その日お祈りをしに外にいくのやめようかな、と思ったのですが、不安だから行かないというのはだめだ、不安は罪だと思い直し、外にいつも通りお祈りをしにいきました。

お祈りをしながら歩いていると、不安心配は一切消え、改めて神様の為に生きる喜び、神様に守っていただける喜びを感じながらお祈りをすることができました。何であんなに恐れていたのだろうかと思うくらい、神様と疎通することの大きさを実感しました。

御言葉に従うようになって、罪を悔い改めていくほど悪い考えが無くなり、心の負担がないってなんて快適なのだろうと感じる日々を過ごさせていただいております。

自分がしっかりと神様の為に生きるほど、神様から守ってもらえるという安心感も増します。

しかし世の中の人は神様をどのように愛せば良いか分からず、神様から守っていただけるという安心感も無い状態で生きていること思います。どれ程心の負担が大きいことかと思います。

不安心配がたとえ無かったとしても、何らかのマイナスの考えを持って生きている方がほとんどではないでしょうか。

しかも世の中の噓の情報に惑わされて、する必要のないことをしたりと、本当に大切な事を悟る価値観が無くなってしまっています。

RAPT | RAPT有料記事740(2023年5月1日)どんなにこの世が裁かれ、経済が冷え込んでも、お金のため、生活のために生きるという愚を犯すな。いつの時代も、神様のために生きた人が祝福され、経済的にも豊かに満たされるのだ。

私達が信じようと信じまいとサタンは確実にいて人間の心を不幸に陥れようと常に働きかけています。

サタンに主管される事でサタンのおぞましい性質と神様の愛のあまりの違いが分かりました。
悪魔崇拝者達は、霊界に存在している「サタン」を実際に拝んでいます。 最近、芸能界や有名人が自殺したというニュースをよく見かけますが、彼らは自分が有名になるために、「サタン(悪魔)」に身近な人を生け贄に...

そこから抜け出すことができるのは神様のために生きて神様の保護を受けさせていただくしかありません。

今世の中はどんどん経済的にも精神的にも厳しさが増しています。その中で幸せに生きるためには神様の御言葉に従う生き方しか無いと確信しています。

今までの考えでは通用しない時代になりました。多くの人が真理に立ち返り、私達人間がが生かされている理由を悟られますように。

RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。

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