先日、中学3年生の娘の最後の合唱コンクールを見に行ってきました。
悟ることがありましたので、記憶が新鮮なうちに証したいと思います。
例年3年生は見応えがあって、1.2年生に比べてクオリティが高いなと感じておりました。
なので今年も楽しみにしていました。
迎えた当日。正直、全体的に思っていた程ではないな。。と感じてしまいました。
それは「何に対して歌っているのだろう。」と、その子供達の「霊」の行き場のない虚しさが伝わってきたからなのです。
私達人間は、「霊」が神様の為に生きることで喜びに満たされます。「霊」は神様を愛したいと願い、その為に生きる事で生きがいを感じるのです。
この子達が神様のために歌ったら、もっともっと歌う人も、聞く人も喜びで満たされたはずなのにと思いました。
沢山の義人が神様のために賛美する世界になったら、どれほど喜びが満ちあふれるだろう!と。
それでも娘のクラスはパート毎の掛け合いが面白く、美しく、素晴らしい合唱を聴けて良かったなと思いました。
娘のクラスは前日、先生から情景を思い浮かべ、心を込めて歌うことを教えてもらったそうで、心がけていました。また、強弱にしても何段階もあるのだと言っていました。私はあまり細かいことを考えて歌ったことがなかったので、それを聞きながら合唱ってこんなに奥が深いのか。と思いました。
しかし「心を込めて歌う」と言っても、誰のために歌うのか。その一番大切なところをほとんどの人が分かっていません。
私は御言葉に出会うまでの何十年と、そんな曖昧な中で生きてきた。という感覚がありました。
ですが今ハッキリと分かります。
私達を創造して下さり、どこまでも幸せに導いてくれる神様です。
それを理解した上で、歌うにしても、何をするにしても、全てのことを為していくからこそ、霊が神様から力を受け、また与え、愛も喜びも幸せも一層増していくのです。
また私は音楽にはほとんど携わってこなかったので、改めて神様が創られた文化芸術の素晴らしさに感嘆してしまいました。
実はそれまで私自身、神様から思ってもいなかった祈りを叶えていただき、本当に神様は全てを満たしてくださる方だと喜びに満たされていました。
しかし前日にあることが起き、自分のしてきたこと全てを否定する心に一時的になってしまいました。サタンが働いたのだと思います。
うちは音楽はほとんど縁のない家系で、娘は音痴で一時期悩み、一人で家で猛練習していた時期がありました。
私のせいだと言われたこともありました。
私もそれを言われたときは、子供達にもっとあれをさせていればよかった、これをさせていればよかったという否定的な考えになってしまいました。
ですが私自身そんな考えを抱えて生きててきましたが、御心を行っていくことで日々満たしていただいているのです。神様の為に生きれば必要なものは全てを与えてくださる。御言葉ではそう教えてくださいましたし、私自身実感していました。
しかし、人間が憎いサタンがそんな考えを打ち砕こうとしました。
でも、この3年間の合唱の練習で娘は本当に上達しました。
今回の件で改めて、やはり神様の考えで生きることが確かな道だと思いました。
ですが娘は神様をまだ信じていません。娘が今後本当に満たされた生き方ができるかどうかは娘次第です。
神様は奪うことも与えることも簡単にできる方です。本当に価値がある人とは、神様を愛し、隣人を愛する人です。その為に個性才能を伸ばすのです。
その一番大切な部分ができていなければどんなに個性才能があっても価値がある生き方はできません。
RAPT有料記事388(2019年7月13日)人間サタンが全ての工作に失敗したのを見て、霊的なサタンたちは怒り狂い、人間サタンを滅ぼし尽くすことを決定した。
これからは、富や名誉があるから、何かができるから高められる時代ではなくなります。
神様を愛する正しい努力をして、霊も肉も成長させた人こそが本当の価値のある生き方ができる時代になります。
この生き方の素晴らしさを悟れる人が一人でも多く救われましょうに。
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