前回の続きです。
御言葉も、読み始めた頃から少し慣れてくると、勝手に自分の都合良く判断し、どんどんズレていってしまいました。
御言葉でも、30代40代になると、自分の経験を土台の上に御言葉を聞いてしまいがちだと仰られます。
RAPT有料記事134(2017年1月2日)あなたたちは私が最高に願う道を選択することができるのか。
私はこの御言葉を拝聴した時、自分は考えが柔軟な方だから大丈夫だろう。
などと思っていました。
しかし後に、自分こそがこの御言葉で仰られている通りの人間だったことに気付かされました。
御言葉に従うと、自分がどのような人間か、自分でも気づいてなかった性格やあらゆる罪に気付かされます。するとあまりにも自分が足りない人間かに気付かされるのです。
適当にやっていると、無知で高慢になっていることにも気付きません。
御言葉を曲解したり少しでも自分の考えを混ぜることが間違った道に行きかねないのかを思い知りました。
強烈に自分の間違いに気付いてからは、できるかぎり忠実に御言葉に従おうと心がけました。
例えば、それまでは週1回の断食祈りも、お祈りをすることが重要なのに
ただ断食しただけでやった気になっていました。しかしそれではただ辛いだけで何も恵みも得られません。なので、自分にはなかなか効果がないなぁと思っていました。
ですが悔い改めて、しっかりお祈りをしてみると、もう本当に恵みなのです!
賛美をすることもです。
このような感覚や感動は、全く想像していなかった事でした。
なので御言葉に従順に従うことは、苦痛ではなく喜びなのでは✨と思えるようになり、自分の価値観がガラッと変わりました。
神様の起こして下さることは、人間の力では決して考えられないことなのだと、
御言葉を実践する程、何度も経験しました。
RAPTさんも、御心の道は、自分の考え通りの道ではないと仰られています。
私はその意味がきちんと分かっていませんでした。
なぜなら
今まで、考えもしなかったことが起こるというような体験を滅多にしたことがなかったからです。
経験から、だいたいこうなるだろうと考えるのが習慣になっていました。
しかし、御言葉に従えば分かりますが、考えもしなかったことが次々と起こるのです。
御言葉自体が、毎回 私達人間の想像を超える事を伝えてくださる御言葉だからです。
神様は、人間の考えや知能がいかに次元が低いかと仰られます。
RAPT有料記事135(2017年1月7日)神様の御心を見付けて行う者は幸いだ。
この事を痛感しました。なぜなら、自分の欲でやるとたいてい上手く行かないのに、神様に祈り求め、感動がきてから行なうと、本当に思ってもみないような感動や祝福や発展があるからです。
私の最近の体験談を少しお話ししますね。
最近自分がずっと知りたいと思っていたことについて、教えて下さるようにと切に祈り求めてました。
RAPT有料記事482(2020年7月13日)人生の使い方が分かる人は人生から豊かに恩恵を受け、人生の使い方が分からない人は人生から何の恩恵も受けられない。
私は普段テレビを全く見ないのですが、先日は日中思わず寝てしまった時、突然娘がテレビを付けたので飛び起きたのですが、そのテレビの映像が、自分が分かりたいと祈り求めていた事に繋がる映像でした。
インターネットにも載っていないような映像で、自分の考えでは絶対にテレビを見ようなんて思わなかったですし、本当に神様が見せて下さったとしか思えませんでした。
神様は、全てをお見通しなのだなと思うしかありません。
この事以外にも、祈り求めながらから行なうことで、思ってもみなかった答えが得られたことが沢山ありました。
人間と神様の考えは天と地ほどの違いなのですね。
なので自分流に行ったり、勝手に自分の考えを混ぜて行っても恵みはありません。
あったとしても、サタンに攻撃されたり、何か問題があると崩れてしまいます。
聖書にもキリストを土台にしなさいとあります。
コリント人への第一の手紙3.9~
わたしたちは神の同労者である。あなたがたは神の畑であり、神の建物である。
神から賜わった恵みによって、わたしは熟練した建築師のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。
なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
この土台の上に、だれかが金、銀、宝石、木、草、または、わらを用いて建てるならば、
それぞれの仕事は、はっきりとわかってくる。すなわち、かの日は火の中に現れて、それを明らかにし、またその火は、それぞれの仕事がどんなものであるかを、ためすであろう。
もしある人の建てた仕事がそのまま残れば、その人は報酬を受けるが、
その仕事が焼けてしまえば、損失を被るであろう。しかし彼自身は、火の中をくぐってきた者のようにではあるが、救われるであろう。
自分の考えが混じっていないか、間違った認識観を持っていないかと、祈り求めながら神様の考えに近づくように努めることで、神様はちゃんと気付かせて下さります。
常に幼子のような純粋な心で、間違いに気付いたらすぐに悔い改める人間でいたいと思いました。
そうならないと神様が遠ざかってしまうのを感じるからです。
しかしそのように生きることで、
より正しい考えで物事を見られるようになっていくのですね。
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