子供たちがはじめてこの夏休みに約2週間程、アメリカに行くことになりました。
私はこの数日間、子供も夫もいない日を過ごしました。子供にとっても私にとってもかけがえのない日々を過ごすことができました。
神様が与えてくださった日。そして子供たちに対する祝福なのです。
このように至った経緯について、
RAPTブログの御言葉を知り、信仰を持ってからの私の考えの変化や子供との関りを交えて少し長くなりますがお話ししたいと思います。
間違った子育て
4年前、御言葉に出会いました。
「真実」を求めてRAPT理論に辿り着き、その延長で御言葉に導かれた私は、当時の自分が抱えていた「仕事」に関することやその他様々な悩みの答えを得ることができ、感動しました。同時に御言葉を学びながら、個性才能を伸ばしていきました。
しかし、神様の存在と御言葉の人間離れした言葉にただただ感動する一方、
この御言葉の本質である「真理」と「愛」を正しく悟れていませんでした。
RAPT理論によって、この世の中がサタンに支配されていて、あらゆる文化芸術がサタン的であることを知りました。
私は子供たちをそこから避けなければいけないと思い、テレビを見ることを禁止しました。youtubeも、異性の堕落を促すものが本当に多く、御言葉を守らなければいけない、守らせなければいけない、と思うあまり、そのようなものからサタン的な音楽、ゲームなどまで、子供たちが触れないように目を尖らせるようになっていました。
もともと長女は活発で、積極的にクラスを引率したり、運動や読書の冊数で学校1になるなど、いろんな面で良い成績をおさめている子でした。
しかし、私がそうなるほど娘はサタン的な文化芸術にぬめりこんでいきました。
そして私が神様を信じるようになって、テレビなどを禁止するようになると、友達についていけなくなり、だんだん暗くなっていき、次第にサタンが入っていくのが分かるようになりました。
神様を信じるようになると、どうしてもサタンが妨害してきます。
RAPT有料記事119(2016年11月12日)サタンを滅ぼす祈りと、個性・才能を伸ばすことの重要性。
RAPT有料記事290(2018年7月2日)神様の愛が感じられないときに疎外感を抱いて心いじけることなく、最後まで神様を愛して、神様の愛をサタンから奪い取りなさい。
御言葉を知らない人からすると、「サタン」と言われてもオカルトの世界のように思ったり、霊感が強い人にしか感じなかったりしないのではないか、自分には関係ない。と思われるかもしれません。
私も初めはそのように感じていました。しかしはっきりと分かる経験をしてから、私たち人間はいかに間違った考えをサタンやサタンを拝む支配者たちから幼い頃から入れられ、どれほど洗脳されていたかに改めて気付きました。
簡潔に言えば、サタンは神様に敵対しています。
こちらにサタンの手口が書かれてあります。
では、悪魔は一体どのような誘惑をしてくるのか。それについても聖書にははっきりとこう書かれています。
「すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。」(ガラテア人への手紙5章19~21節)
悪魔どもは我々にこういった行いをさせて、我々の行くべき道を閉ざそうとします。
「不品行、汚れ、好色」を行えば、世間にバレれただけで恥さらしとなり、バッシングの対象になりますよね。
「偶像礼拝、まじない」を行えば、まさに悪魔に祈るのと同じようなものですから、悪魔に自分の魂を売ったも同然です。しかも、その祈りが叶えられることはありません。
いえ、仮に叶えられとしても、それは単なる偶然に過ぎません。しかし、その人はそれをありがたく思って、また偶像を拝みにいくでしょう。そうして、悪魔にさらに魂を売ることになるわけです。
「敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ」は、集団で何かをしようという場合、完全な障壁となりますよね。こういった感情が集団の中に満ち溢れると、それだけでその組織は混乱を招き、下手をすれば崩壊しますから。
「泥酔、宴楽」も、こんなことばかりやっていたら人間、何の進歩もありません。最悪の場合、アルコール中毒になって、人生を台無しにしてしまいます。
あと、ここには書かれていませんが、金銭、薬物などの誘惑もあります。
また、失意、絶望、落胆、不安、恐怖、といった感情に陥ると、仕事にも手が付けられなくなります。下手をすると、人生そのものを放棄してしまうことにもなりかねません。
なので、我々は常に自分の心をきちんと守って、悪魔の誘惑に陥らないようにしなければなりません。
その一方で、神様は我々人間に以下のようなことを行うよう勧めています。
「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」(ガラテア人への手紙5章22~23節)
これらを行っても悪魔は何も文句はいえないし、むしろ悪魔どもは戦々恐々とします。悪魔は人が善を行うことをとても嫌がるのです。
そのため、悪魔どもは我々がこのような善を行えないように妨害し、攻撃し、悪の道へと誘惑しようとするわけです。
しかし、昨日も言いましたように、我々がお祈りして「聖霊」を受けて生活するならば、こんな悪魔の誘惑や攻撃にすべて打ち勝つことができます。
RAPT | 一人一人が悪魔の誘惑に打ち勝つことが、この世界を変えることになります。先ずは自分のためにお祈りしてみてください。
一見正しく思われる考えも、神様の世界では「罪」になることが多々あります。
例えば、家族や恋人を第一に愛することや、仕事を人生の一番に据えたりすることは、悪いことだとは思えないですよね。しかし、聖書では神様を第一に愛しなさいと書かれてあります。
ですから神様以外の人やものを一番に愛することも「二心」の罪なのです。
実際に、私たち人間は家族や恋人、夫婦、友人や仕事など以上に神様を第一に愛することですべてがうまくいくようになり、すべての問題が解決し、幸せになれるのです。
人間の愛よりも神様の愛のほうが比べ物にならないほど大きいからです。
サタンは人間が幸せになることが憎いですから、神様以上に家族愛や恋愛など人間に心が行くように誘導したり、その他にも富や名誉、物欲など神様以外のものに誘惑します。
また、身近な人に入って問題を起こさせたりと、その人を神様から引き離そうと苦しめたりします。
実際に私に対するサタンの攻撃も激しく、家族に一人一人に入っていきました。
その中でも特に長女には強力に入り、一番激しい戦いとなりました。
活発で前向きだった娘が、否定的なことしか言わないようになり、暗い服ばかり着るようになり、目が隠れるほど前髪を伸ばして陰気になり、見るからにサタンの風貌になっていってしまったのです。
しかし、どんなにサタンが攻撃してきたとしても、御言葉に正しく従い、罪を悔い改めて神様に頼り祈り求めれば必ず勝てるのです。
神様はサタンよりも強い力をお持ちだからです。
RAPT有料記事304(2018年8月20日)時は来た。これからは自分自身の成長のためだけでなく、主の使徒として、この世の中を実質的に変えていく働きを成していきなさい。
とにかく私は、自分が御言葉に正しく従えているのかが分からなく、この場合はどう対応するべきなのか、御言葉を読み、答えを必死で探しました。
当時、御言葉を正しく悟れておらず、お祈りで神様に子供のことを相談してはいけないのではないかと勝手に思い込んでいました。
しかし、あまりにも毎日サタンの攻撃と娘が悪化していく様を見て、疲弊してしまい、神様にその胸のうちを素直に打ち明けてみました。
すると、神様が「やっと話してくれたんだ、待っていたよ」というような、助けてあげたいという、本当に温かい波長が伝わってきたのです。
どんな問題も打ち明けなさいとちゃんと御言葉も宣布されていました。
RAPT有料記事611(2021年12月6日)どんなことも心配しないで主に解決できるように祈り求めなさい。そうしてこそ全ての問題が完全に解決し、その問題すらもかえって自分にとって益となる。
実は私は御言葉で神様の思いを沢山伝えてくださっていても、「そんなこと言っても本当はこう思われているのではないか」と、人間的な考えがなかなか抜け切れず、素直に受け入れることができていない部分がありました。
なので、神様に打ち明けさせていただいたとき、こんなに私の思いを受け止めてくださる優しい波長が来たときは本当に驚きました。
それから、私の何がいけなかったのか、答えとなる御言葉や悟りを神様は色んな面から与えて下さるようになりました。
サタンは人間の弱い部分、「罪」に付け込んで誘惑したり苦しめてきます。
なぜこんなにサタンが娘を攻撃するのか、それは私の娘に対する「二心」という罪でした。
先ほども触れましたが
聖書の一番の掟は「神様を第一に愛すること、第二に隣人を愛すること」です。
当時の私はどうしても子供に対する情が抜けきれなかったり、自分の信仰すらままならないというのに子供を伝道したいという思いが離れませんでした。
聖書でも、こう書かれてあります。
わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。
マタイによる福音書 19:29 新共同訳
神様はまず私が神様を第一に愛するように、子供を捨てる(子供に対する情を一切なくす)よう、サタンの攻撃をお許しになりました。
娘のアトピーも悪化していきました。
この時期、家族関係も人間関係も次々と破綻していきました。
娘から家族がこうなったのは私のせいだと、恨みの手紙をもらいました。
ですが、私はとにかく御言葉に従いたいという一心でした。
次々と襲い掛かる試練を通して、私は自分が抱えていた「自分の子がよく見られたい」という罪から派生するあらゆる罪に気付いていき、気付くたびに悔い改めていきました。
子供を愛する以上に神様を愛する重要性を、神様はいろんな面から悟りを与えてくださり、導いてくださいました。
そんなある日、究極の選択に迫られました。
聖書の有名なエピソードに、アブラハムが神様に言われて一人息子のイサクを生贄に捧げるよう命じるシーンがあります。神様は、自分の大切な子供よりも神様を愛するかを試されるお方です。
アブラハムは神様の言われた通りイサクに手をかけようとしました。その時、天使が現れて止めました。
この事により、アブラハムが自分の息子よりも神様を第一に愛していることを神様がお認めになり、アブラハムの子孫を大いなる国民とすることを宣言され、ダビデ王やイエス様のような有名な義人がアブラハムの子孫から誕生される運びになりました。
アブラハム、イサクをささげる
これらのことの後で、神はアブラハムを試された。
神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、 神は命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。
三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、 アブラハムは若者に言った。
「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」
アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。
イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。
「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、 御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。 御使いは言った。
「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
創世記 22
人間よりも神様を第一に愛することがこれほどの祝福なのだと伝えるシーンなのですが、これは今私たちが生きている時代も変わらない真理なのです。
実は私もこのエピソードのような選択を迫られたのでした。
自分でも何が起きているのかわからない状態の中、その選択の答えを出さなければと思い、色んな御言葉や聖書の聖句が駆け巡りました・・・
結果、私は神様を選びました。
その後、私自身はとっても心が軽くなりました。もういいや。私が言って聞かないのであればしょうがない。
と、今まで監視するかのように気になっていた娘の行動がでしたが「気にするのをやめよう」と思えるようになり、今まで余計な重荷を抱えていたことを実感しました。
その時、配信してくださったミナさんの証を読ませていただき、自分の間違いに痛烈に気付きました。
子供への依存心・執着心を捨て、神様を第一にすることで、かえって子供から素直な愛を受けられるようになった(十二弟子・ミナさんの証)
御言葉の本質は神様の愛です。神様がどれほど人類を愛してくださっているかを悟り、、神様を愛することが人間にとっての何よりもの祝福なのです。
神様を愛してこそ生かされる個性才能であり、RAPT理論も神様に人々を繋げるために解いてくださったものです。
その一番大切な神様の愛以外のことばかりを娘に押し付けようとしていたのだと、やっと気付いたのです。自分自身が御言葉の本質を悟れていなかったのです。
更に、聖霊様の愛について詳しく御言葉で宣布してくださるようになり、女性たちがどのように生きるべきかを知り、聖霊様のような愛を持てるようになりたいと心から願うようになり、祈り求めながら自分の考えや行いも変わっていきました。
そして、肝心な祈りを忘れていたことに気付きました。サタンの滅びです。娘からサタンを滅ぼしてくださるようにと祈り求めると、次の日から確実に娘が変わっていきました。
きつく暗かった娘の顔が日に日に幼い子どものように、まさに「邪」がとれたように年相応の子供の顔に戻っていきました。
RAPT有料記事648(2022年5月2日)今は聖三位が降臨し、どこまでも豊かな恵みに満たされて生きられるときだ。
また、私が神様を選択した時から、確実に神様が私と娘を祝福してくださっているのを要所要所で感じるようになりました。
娘自身がサタンに精神がやられてしまっていたのですが、それを補うように聖霊様のような愛で娘をいたわり育ててくださっているのを感じるようになりました。
その愛も、初めのうちは、ただただ愛を与えてくださるような環境でしたが、徐々に娘が積極性を持てる環境や状況に導いてくださりと、本当に絶妙だと感じるのです。
私自身も、聖霊様の愛を知るほど、自分がどのような愛を持つべきかが分かり、心が一層楽になりました。
あんなにマイナスの発言ばかりしていた子供も、どんどん明るくなっていき、服も明るい服を着るようになったり、前向きな子に変わっていきました。
また、中学になると、あまりにも周りの子が受験や内申点にこだわる勉強ばかりさせられていて、疲弊しているのを子供から聞くようになりました。
そんな中で、
私自身が「子供が人からよく見られたい」という罪を無くせたことで、人からの評価ではなく、御言葉やRAPT理論で学んだ通りに本当に子どもにとって良いと思われるアドバイスをししてあげることができるようになり、一度は壊れてしまった親子関係も、良好になっていきました。
特に2023年に入ってすぐ、「料理」を個性才能として伸ばすようになりました。
とにかく神様への愛で作ろうと意識しながら色んな料理に挑戦させていただくようになりました。
初めのうちは、本当に「神様」だけを考えて子供の嫌いなものであっても構わず入れて作っていたのですが、不思議なことに、食わず嫌いがひどかった娘も、いろんな食材に挑戦するようになっていきました。
そんなある時、娘から「感謝」の手紙と感謝を表すオブジェをもらったのです。
一時期は呪いの手紙までもらったほど、最悪の親子関係になりましたが、御言葉を正しく学び、一筋の愛で神様を愛することですべてがうまくいくようになったのです。
逆に言うと、御言葉を正しく学ばず曲解したたままいくら子供を正しく育てようと思っても絶対に育てられないのだと痛感しました。
その後、ずれてしまい娘を意識してご飯を作るようになると、今度はあまり美味しいものができなくなってしまい、やっぱり神様を第一に愛してこそ全てがうまくいくのだと、改めて悟らせていただきました。
続きます。
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