世の中の教えは一部の願いが叶うだけ。本物の神様はあらゆる実力がつけられるように導いて下さる。だから希望なのです。

私は今までスピリチュアル、自己啓発、占いと様々な教えに傾倒し、さまよってきました。

大学の時は細木数子の占いを本気で信じ、「大殺界には事をなるべく行うのをやめて身を慎もう」「この時期には新しいことを始めよう。」と、自分の運命を完全に占いに委ねていました。

細木数子の死~占いは人を縛り付けるが、神様の考えで生きるほど心が解放され自由になる~
先日、細木数子が死亡したというニュースが流れました。インチキ占いや墓石詐欺などで暴利を貪ってきた「細木数子」が83歳で死去 呼吸不全で 実は私は一時期細木数子の占星術にハマっていた時期がありました。な...

実際に大殺界に悪い事が立て続けに起こったので、占いは正しいと信じきっていました。しかし真理を知った今なぜ占いの通りに起きていたのかと言えば、私自身がサタンの主管圏で生きていたからだと思います。

悪魔崇拝者達がなぜあれ程、事を起こす際に日時にこだわり、数字の6を多用したり、同じようなポーズばかりとるのかといえば、悪魔の力がそれなりに働くからでしょう。

悪魔にも力がありますから。

当時、細木数子の占いに身を委ねて幸せだったかといえば、占いで良い時期に事を行うとそれなりに良いことが起きました。しかしそれは、実力も無いのにただ”ちやほやされる”というような一時的なものでした。

ですから希望があるというわけではなく、その時期が終わればただ次の良い時期を待つ。生産性が全くない日々でした。占いで悪いとされる時期はただ何もせず堪え忍ぶのです。しかし次第にその縛りが自分を苦しめている事に気付きました。

何年か後、RAPTブログで占いが罪だと分かった時には、もうその頃になると関心がかなり低くなっていましたが、とても解放された気持になりました。

RAPTブログの有料記事を読むようになり、神様から宣布して下さった御言葉を読み従うようになって、あらゆる良い方向に人生が変わりましたが、それでも私は一時神様から裁かれ、サタンに強力にやられて本当に命の危険を感じたほどの危機がありました。立ち直るまで何ヶ月かかかりました。その間必死で神様にすがりつきました。

その期間、ただただ堪え忍ぶだけだったかとえば決してそうではありませんでした。苦しいから祈って御言葉を読み返し、賛美をして、御言葉に従っているうちに確実に自分の霊魂が回復していくのが分かり、それまで目に見えることばかりを重要視してきてしまった私は霊的な条件を立てる重要性を悟ったのです。

悔い改めたら神様が愛して下さる事も分かり、その愛が本当に救いでした。

御言葉に従い神様を愛していても大変なことは起こります。しかしその中でも色んなことを悟り成長していき、確実に実を結ぶための糧となるのです。

ですので神様を信じてからの苦しみは私にとっての宝だと思っています。しかし占いだけでなく、スピリチュアルなどに傾倒していたときの苦しみは何も生み出しませんでした。

今はサタンの主管圏から抜け出し、神様の主管圏で生きられるようになり、彼らが作りだした慣習や間違った常識から抜け出しとても楽に生きられるようになりました。

彼らが頼りにしている数字やあらゆる秘儀のようなものも全く怖くありません。もっと力のある神様に頼れることを知ったからです。

悪魔数崇拝者達がしていることだけでなく、この世の人達が「しなければいけない」と思い込んで行っているほとんどのことはしなくてもよいことばかりだと分かりました。

なので、世の人を見て何かすごく重いものを背負っているように見えてしまいます。

御言葉を実践したことがない人から見れば、明け方お祈りをするとか、御言葉に従う方が大変だと思う人が沢山いるでしょう。私も初めはそう思っていました。

しかし従ってみると、祈りを叶えられたり、思ってもいなかった素晴らしい道に導いていただいたり、確実に自分がよい方向に変わる事を実感するようになるので、大変なこと以上のありがたいことが沢山あるのです。

ただ神様を愛すればよいのでとてもシンプルです。と言っても自分が本当に神様が喜ばれるように愛せているかは御言葉を悟っていかなければなりませんので、大変な部分もあります。しかし、絶対にこの道に行けば良いという一筋の道が分かっているので、安心できるのです。

私の身内に新興宗教に入っている人がいます。神様を信じているのに努力をたいしてしようとせず、株や宝くじを買ってお金持ちになれるように淡い期待を抱き、地震が怖い、あれが怖い、毎回同じ愚痴ばかり、行動が何十年も変わっていません。

本物の神様がどのような方か知っている私からすれば、それで神様を信じて何の意味があるのだろうと思ってしまいます。

その新興宗教の神が本物の神ではないからに他なりません。

私自身、「本物」を知らなかった時はあれこれと噓の言葉をさも崇高のことのように言われても、信じてしまっていたことがいくつもありました。

絶対的な存在がいらっしゃり、絶対的な言葉があり、まさか神様が全てにおいて満たして下さる方だとは御言葉に出会うまで夢にも思っていなかったからです。

だから、ある宗教を信じたり、ある教えによってほんの一部の願いが叶ったからといって、その宗教や教えが自分の救いだと思ってしまうのです。

絶対的に私達人間が指針とすべき言葉があり、絶対的に目指すべきゴールがあり、絶対的に私達人間を幸せにしてくれる神様が存在している。

この事を知るだけでも安心しませんか。例え自分が余りにもほど遠い人間であったとしても、そこへ向かえば確かなのですから。

どんなに悪魔崇拝者達が色んな宗教を作ってスピリチュアルなどの教えを作っても、その力を遙かに超える絶対的な威力を持つ神様がいるのです。

その神様を愛してこそ、どんなときも心が安定し、成長し、希望を持って生きることができます。誰よりも神様を愛されてこられたRAPTさんがRAPT理論を解き、毎日違う、決して人間の頭ではひねり出すことのできない御言葉を宣布して下さり、音楽も作られ、写真集も発売され、そんな超人的な方がいるでしょうか。

RAPT写真集・第1弾『RAPT×PHOTO 闇に浮かび上がる光』の発売が決定しました!!

RAPT写真集・第2弾『RAPT×PHOTO 人と街の交差』を発売いたしました!!

RAPT写真集・第3弾『RAPT×PHOTO 聖なるもの、俗なるもの』を発売いたしました!!

RAPT写真集・第4弾『NOTO EARTHQUAKE 災害か、侵略か? 地震発生から9ヶ月後の能登』を発売いたしました!!

しかもただの音楽や写真集ではありません。確実に神様や天の霊を感じるのです。だから恵み深いのです。

それだけRAPTさんが神様を愛してこられたからこそです。

本物の神様だからです。

この世の中には余りにも偽物の言葉や文化芸術が氾濫してしまっています。本物の神様から与えていただいた御言葉やRAPT理論によってその噓に気付いて欲しいと切に願います。

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