10日間の断食祈りを終えて。固定観念が崩された10日間の悟り。

十二弟子のミナさんが、RAPTさんからご提案を受けられて10日間の断食祈りをされたことを証されていました。

10日間の断食を終えて~これまで大好きだったこと、その全てが霞むほど、絶大な神様の愛と恵みを受けた日々(十二弟子・ミナさんの証)

10日間の断食を終えて〜自分に霊体があることをはっきりと感じ、物事の判断や決断が早くなり、何を行うにも迷いや恐れを感じなくなった(十二弟子・ミナさんの証)

御言葉を知らない方が聞いたらびっくりしてしまう事かと思います。

御言葉では人間には「霊体」と「肉体」があり、それぞれ栄養源も性質も全く違なることを詳しくお伝えしてくださっています。人間は「霊体」を成長させるために「肉体」を使って神様を愛し、義なる生き方をすることが、この世でも死後も幸せに生きられることを教えてくださいました。

RAPT | 輪廻転生はあるのか。または「肉体」と「霊体」の仕組みについて。

自分にはもう一人の自分である「霊体」がいることを知って、本当の幸福を実感して生きられるようになった(十二弟子・KAWATAさんの証)

RAPT有料記事284(2018年6月11日)我々人間がこの世に生まれてきた目的は、霊魂の救いと成長のためだ。

RAPT有料記事519(2020年12月7日)自分の霊魂をきちんと成長させた人は、霊魂が力に満ち溢れているので、肉体まで元気になり、年を取っても疲れず、脳の回転も速くなり、人生を成功させて栄えることができる。

今まで学校でも親からも「霊」について教えられたことがないため、私達人間は肉の欲に従って生きる事が当たり前になってしまいました。しかし私自身、実際に御言葉に従っていくことで、自分に霊があることや神様、サタン、天使の存在を実体として感じられるようになっていきました。

サタンに主管される事でサタンのおぞましい性質と神様の愛のあまりの違いが分かりました。
悪魔崇拝者達は、霊界に存在している「サタン」を実際に拝んでいます。最近、芸能界や有名人が自殺したというニュースをよく見かけますが、彼らは自分が有名になるために、「サタン(悪魔)」に身近な人を生け贄に捧...

霊が神様に近付くほど、それまで当たり前にあったマイナスの考えが全くなくなり、祈りが叶えられやすくなり、様々な事が上手く運ぶようになりました。

私はミナさんの証を拝読させていただいた時、

「私も神様が共にしてくれればきっとできるはず!これで人を救える人間になれるかもしれない!肉性が無くせるかもしれない!」

と思いました。

しかし実際に行うまでに至れず、それどころかちょうど子供達の行事が重なり、忙しさに流されて徐々に罪や自分のすぐ出てしまう癖にも甘くなっていっていきました。熱心に信仰生活をしていたときには考えないような考えが出てくるようになって「あれ、おかしい」と気付きながらもなかなか変わるきっかけが掴めませんでした。

あるとき痛烈に自分の甘さに気付く出来事があり、もうやった気になるのではなく、きちんと条件を立てよう。と決意し、実行するに至りました。ただ、最後までやりきれるかは正直自信がありませんでした。しかし行おうと思うと、次々と神様が導いてくださっていくのを感じました。私の懸念していたことが解消されたことについては最後に書きたいと思います。

人間の固定観念

断食祈り1日~2日目位は、私の場合は「食べてはいけない」と分かるっているせいか、欲が沸き上がってこないのでとても楽だと感じました。欲がないことがこんなに楽なのかと感じていました。終わる直前に「あれ食べよう」という思いが出てきましたが、それ以外は終始、強く「これが食べたい!」と思うことなく過ごすことができたのですが、それでも祈っていると、どこからともなくあれこれと色んな料理が思い浮かんできたりと、雑念と戦うこともしばしばありました。

サタンかもしれませんし、自分の肉の思いかもしれません。1度、飲食店の看板を見たとき、食欲が沸き上がりそうになりました。するとそれまでは空いていなかったお腹が急に連動して空いてきて、「まずい」と思いすぐに考えるのを止めました。本格的にお腹が空いてしまうと余計に辛くなってしまうからです。脳とお腹がこのように連動されていることに気付かされました。

これはこの断食祈りを通して思ったことなのですが、自分の固定観念が自分の身体に暗示をかけていることがあることです。

「こんなに長期で断食していたら辛いはず」と考えると、フラフラしたり、身体が辛くなっていました。

しかし自分の肉から出る考えや自分が持っている常識は間違いだらけであることにも改めて気付かされました。

神様の力が働けば、人間の考えや状況も簡単に覆すことを何度も経験したからです。

私は今回の断食祈りで何度も自分の固定観念を打ち砕かれました。

後から証しますが、今回の断食祈りはどんなに辛くても、その度に祈りや賛美で力を受けて復活するという繰り返しだったのです。別の角度から言えば、神様の考えになることで乗り越えられたと言えるかもしれません。

ですので脳で何を考えるかって非常に重要なことだと思いました。

御言葉を学んでいる義人達は常に神様の考えで生きられるようにもがいていらっしゃるかと思います。

実際にそのように生きることで心も軽く喜んで生きられ、全てが上手く運びます。

しかし、時に色んな方向へ流されそうになり制御できなければ、行動もそれに伴いするべきでないことをしたしまったりします。

だからこそサタンは私達の思考の中に悪い考えを入れようと日々狙っているのだとも思いました。

まして世の中の人達は様々な間違った考えや固定観念にとらわれて行動しているので、悪い方向へも際限なく行ってしまう可能性があります。私も御言葉に出会う前はそうでしたが良い状態がずっと続くなんてことはありませんでした。もちろん今でも大変なことやトラブルはあったりしますが、必ず神様が解決してくださるので本当に気持が軽く、余計な心の重荷を背負わなくて済むようになり、明るく前向きに生きられるようになりました。

身体のこと

これは自分でも本当に驚いたことなのですが、生理が普通にきていたことです。

私は過去にダイエットをしていた際に、生理が必ずと言ってよいほどストップしていました。ですから今回ももし重なれば必ずストップするだろうと思っていたのです。

そして実際に生理と重なったのですが、最後まで普通にきていたのです。ダイエットをしていたときは、身体の内部の機能に影響が出るほど間違った方法で行っていたのだと気付かされました。脳も働かなくなっていきましたし、身体は常に貧血状態でした。しかし今回は、確かに身体は痩せてはいきましたが、内部の機能は全く変わっていないのが分かるのです。健康に余計な肉だけをそぎ落としていったという感覚です。

水をしっかり飲んでいたのもあると思いますが、神様は御言葉で酸素と水をしっかりとりなさいと仰られていますが、断食中は特に本当にこの2つの重要性にも気付かされました。

RAPT有料記事302(2018年8月13日)人々の救いのために熱く祈った者が、人々の救いのために大きく使われる。

神様が御言葉で仰られることは本当に私達の命を生かして下さる言葉なのだと一層感じました。

明け方自然の中に出ていき、美味しい酸素を吸うととっても気持ち良くて細胞が生き返る感じがします。更に神様と繋がれて本当に幸せなひとときだと感じますし、実際に身体に良い影響を与えているのを行く度に実感するのです。

霊のこと・愛が力となる

ミナさんが証されていたように、私も今まで以上に「霊」を感じるようになりました。

何より今回の断食祈りで強力に感じたことは、「愛」で生かされ、乗り越えることができたことです。

私が今回10日間も断食を行ない抜くことができたのは、神様の「愛」が脳や霊に伝わり、肉体に力を与えてくれたのを何度も体験したからなのです。

正直、私は後半挫折してしまうのではないか。と途中までずっと思ってしまっていました。しかし、毎日「愛で乗り越えなさい」「困難は愛で乗り越えられる」というメッセージが伝わり、「私は明日も続けていくんだ」と神様の導かれる波に乗るような形で続けていくことなっていったのです。

特に私は4日目くらいから自分の「霊」をより感じるようになっていきました。

体調には波がありました。少し辛いな、と感じながらNANAさんの証を参考にシャッフル機能を使って賛美を捧げていました。すると、RAPTさんが作られた賛美歌を歌ったとき、強力な聖霊が私の霊に伝わり、次の賛美歌に入ってもまだ余韻が残っているほどでした。

祈りと賛美と御言葉によってサタンに勝利し、神様の心情を深く受け、神様をすぐそばで肌身に感じられるようになった!!(十二弟子・NANAさんの証)

それまではRAPTさんが作られた賛美歌は、とても新しくて、格好良くて、PVもメロディーも今までに無い洗練された曲だと毎回感じていましたが、ここまで聖霊が宿っていることを感じることはできませんでした。ですが今回断食中の私の霊が強力に力を受け、歌い終わるとすっかり辛さがなくなり、断食しているのも忘れるほどになったのです。

私は普段から天の文化芸術を為したいと願い、神様に祈りながら個性才能を伸ばしています。御言葉を聞く兄弟姉妹は誰もがそのように願って日々尽力されていらっしゃるかと思います。

この体験を通して、御心を為すということは、人の霊の命を生かしてあげることだと実感しました。神様から使っていただきたいと日々願っていますが、自分だけでなく、相手の霊に力や愛を与えてあげられるものこそが天の文化芸術なのだと感じました。

ただ、今回兄弟姉妹の創ってくださった賛美歌にも本当に励まされ、支えられました。神様を愛して人を救いたいという思いで作られていることが伝わり、何度も歌わせていただきました。本当に感謝です。人を救いたいという思いを込めた祈りを捧げられ、創作することで、こちらが歌わせていただいた時に実際に力を受けたり、神様により近付くことができるのだなと実感させていただきました。

そんな神様の愛が、時には賛美の歌詞を通してメッセージとして伝わり、時にNANAさんやRAPTさんの賛美歌を通して直接霊に伝わり、時に神様からの愛が直接霊に強力に感じたりして、実際に肉体への力となり、その度に断食しているのも忘れるほどになったのです。

ミナさんも証されていましたが、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」という御言葉の意味が私も分かった気がしました。

10日間の断食を終えて~これまで大好きだったこと、その全てが霞むほど、絶大な神様の愛と恵みを受けた日々(十二弟子・ミナさんの証)

そして、神様はどれ程愛で満たされた世界を作ろうとされていらっしゃるのだろう!と感激しました。

4日目あたりに、命を守ってくださる神様にあれをしてあげたい、作ってあげたいというアイデアが次々と思い浮かびました。

最近は聖書をランダムに読んでいたので、今回の断食を期に1から通読することにしました。すると今まで見落としてしまっていた箇所に気付き驚く発見があったり、「自分もこうなりたい!」という目標が見つかったり、肉的にも良い変化が少しづつありました。

ただ、8日~9日は少し苦戦しました。立ちくらみも頻繁に起きるようになり、祈ってもなかなか聖霊を受けられない、神様の愛をもっと受けたい・・と思っていました。

しかし10日目、賛美をしていて気付きました。自分が愛を受けるために行うのではなく、私達人類のために天地万物や私達人間を創造し、今も細かく一人一人を守り育て導いてくださっている神様に感謝し、褒め称えることが1番の目的なのに、「方向が間違っている」ことに気付きました。気付いてからは、思いっきり神様を賛美し褒め称えました。するとモヤモヤも身体の辛さも吹き飛んでしまいました。

そして、なかなかアイデアや霊感が来なくて進まなかったことも、ただ待つだけじゃなく、自分が100%努力した上で神様が臨んでくださるのだと御言葉を思い出し、

RAPT有料記事327(2018年11月12日)主はやった分に応じて報いてくださる方だから、常に100%の努力をしてこそ100%の祝福を受けられる。

神様に

「自分が今やっていることは本当に正しいことかは分かりません。ですが神様のために一つでも何かしてあげたいです。人を救える人間になりたいです。天の文化芸術を為したいです。もし間違っているのであれば軌道修正してくださり、正しい道にお導きください。」

とお祈りをしながら、今できることに手をつけました。

そうしているとあっと言う間に時間が過ぎ、不思議なことに前日まであった立ちくらみもほとんど無く、普通だったら10日目が一番辛いと思いますが、「神様にしてあげたい!」という愛が力となり、断食していることも忘れるくらいの一日になったのです。

最終日の明け方、さすがに少しヘトヘトになりながらお腹辺りの肉が実際にだいぶ無くなって違和感や辛さを感じながら祈りの場所へ向かいました。

歩きながら今回の断食祈りを振り返り、本当に霊が神様から力を受けることで生かされてきたことを思い出しました。また、「霊のために生きると、霊が肉体を助けるようになる」という御言葉を思い出しました。

RAPT朝の祈り会(2021年12月分)

2021年12月3日(金)
自分の霊が神のように成長するまでは、どんなに霊のために生きても、霊だけが恵みを受けて、肉は余り恵みを受けられないので、苦しい思いをすることが多い。しかし、霊が神のようになれば、霊のお陰で肉体まで栄えるようになるから、霊と肉が葛藤することがなく、むしろ互いに支え合って生きるようになる。このようにして霊肉の救いが完成する。

RAPT有料記事737(2023年4月22日)自分の霊魂が成長すると、自分の肉を客観的に見て、短所はなくなるように、長所はさらに伸びるように助け導いてくれる。

そして神様に「私も今回の断食祈りで、自分の霊に肉が助けられたことがあったのでしょうか。」とお祈りをすると、その直後にお腹の痛みと辛さが無くなり、身体が軽くなり、自分が霊に包まれているような、まるで自分が光になって歩いているような感覚になったのです。

しばらくすると元に戻りました。

その御言葉は本当だということを示してくださったのかもしれません。今までに無い体験でした。

何度も書きますが、今回終始神様の「愛」で乗り越えられたことを強力に感じました。

それは、神様から、またRAPTさんや十二弟子、兄弟姉妹から「受ける」愛だけでなく、神様はじめ皆さまに恩返ししたい「与えたい」という愛、双方の愛が実際に肉体の力になったのです。

また、終始固定概念を崩された10日間でした。

当初は、6日目以降くらいからは、起き上がれないのではと思っていました。ずっと寝たきりになるのではないかと。実際、私が週1の断食祈りを始めてすぐの頃は、たった1日でも明け方フラフラになってお祈りの場所に向かうこともしばしばでした。しかし不思議なことに、行きはフラフラでもお祈りをして帰る頃には断食していることを忘れていることがほとんどでした。

しかしさすがに今回は日数が長いので、後半はフラフラに違いないとばかり思ってしまいましたが、まさか10日間普通に生活し、10日目に5㎞歩いて帰ってくるとは思ってもいませんでした。

余談ですが、私は御言葉に出会ったときは霊を感じることが全くなかった人間でした。時に、たった1日でも断食祈りの日に食欲に負けて食べてしまったこともありました。しかし、その時食べた物は全く美味しくありませんでした。肉性が余りに強かった私もこのように少しづつ肉性がそぎ落とされ(まだまだです)ていきました。お祈りを重ねながら少しずつ霊が成長していくのを感じていきました。もちろん霊的な次元もまだまだです。

少しでも、兄弟姉妹の力や励みになることができればと思い書きました。

また私は、10日間の断食祈りなんてもの凄い条件だ、と思っていました。

しかし、今回唯一懸念していた子供達への食事も終始スムーズに出すことができ、私はただ断食祈りだけに集中すればよいという状態で進めることができ、驚くほど外的なストレスが一切無く進めることができたのです。御言葉でも仰られていましたように、神様が「9」やって下さり、私がたった「1」行ったと感じるくらい本当に神様が全てを采配してくださって行うことができたと感じました。

これが2023年以前だったら、サタンや家族からの妨害やストレスなどが確実にあったと思います。また、新約時代は肉の救いがない時代だと教えてくださりましたが、実際にパウロが遭った苦難の中での飢え乾きとは訳が違いますし、RAPTさんやイエス様が立ててくださった条件と比べると、自分が行った事なんて砂粒のようだと思いました。

苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。 鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。 しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、 苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。 28このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。 だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。

誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。 主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。 ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、 わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。

コリント信徒への手紙2(使徒としてのパウロの労苦)より一部抜粋

それでも、終えた今、神様の愛や日々の恵みがそれまでより一層増し加わりました。神様が命を守って下さったことやRAPTさんや兄弟姉妹に恩返ししたいという思いが増し加わり、行って本当に良かったと思いました。

懸念事の解消

最後に、私が唯一懸念していたことは、期間中の子供の食事です。

味見ができないので毎日今まで通り作るのは難しいですし、断食中の自分には負担だと思いました。

そこで、冷凍の作り置きをしてみよう!と思い立ち、レシピを検索してみると、私が作ってみたいと思える新しいレシピがいくつも見つかり、目から鱗でした。ご飯のレパートリーが最近無くなってきたと感じていたので、解消する助けとなりました。

また、こんな味付けがあったのか!と思うようなレシピもあり、更に美味しく、実際に子供にもとても好評なもののも多々あり、私自身の料理に対する意欲もあがり、もっと伸ばしたいと思えるようになりました。

このように神様のために御心を為そう、成長しようと実践すると、本当に驚く祝福が今までも何度もありました。本当に有り難いです、、これが真理なのです。

そして実際に10日間、事前に買った食材が過不足無く使うことができました。作り置きできなかった食材も上手く使え、時に余った料理もリメイクでき、これは余ると嫌だなと思うものは子供がおかわりして食べきってくれたり、懸念していた食事が驚くほど何のストレス無く全てがスムーズにいきました。

事前に神様に祈っていたことではあったのですが、ここまでとはただ驚くばかりでした。

このように、神様が私達に為して欲しいことは必ず環境や必要なものを与えてくださるのです。

一時的にどんな大変なことがあったとしても、神様のために生きるなら何倍にも増して返してくださります。

どうか今回の私の経験を通して、その神様の深い愛の素晴らしさに一人でも多くの方が気付かれ、決して人間は肉体だけで生きているのではない事を知って欲しいと願います。

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