欲を満たしてもその時限りですが、神様と愛をなしていくと不平不満がなくなり、神様との愛の思い出が蘇り、幸せに満たされるようになります。

信仰を持っていないときは、不平不満や愚痴を言うことが日常でした。また、知り合いと会えば地震や犯罪が怖いなど、口を開けばマイナスのことばかり言い合う日々でした。

娘は信仰を持っておらず、不平不満をよく口にするのですが、私に対しても過去あれが嫌だったと、今も同じ内容のことを言うことがあります。

今となってはもうどうしようも無いことばかりなので、ある時、娘の話を聞いた後どっと疲れてしまい、暫く動けなくなってしまいました。サタンが入ったのだと思います。

これは娘だけで無く、誰と会っても愚痴をよく聞きます。先程も書きましたが、私自身も御言葉を読む前はそうでした。人に対しての嫌な感情がずっと消えなかったり、私自身も、余りにも考えが違う母に対してずっと負の感情を抱えて生きてきました。

しかし、神様が私の罪を次々と徹底的に悔い改めに導いてくださった時期があり、この罪にも気付かされました。明け方のお祈りの際、この罪を悔い改めたとき、母に神様の本物の愛が無かったにしろ、私のことを思って育ててくれたと分かり、それ以降母に対して悪い感情を無くすことができました。

同時に、神様の厳しさが全て本物の「愛」だとやっと気付くことができたのです。

御言葉の核心は「愛」です。といっても、誰かを好きになることはただの感情であり、愛ではありません。

RAPT有料記事120(2016年11月14日)神様を愛する資格があるのは誰か。本当の愛とは何か。なぜ主の前では多くのものを捨てなければならないのか。

第1に神様を愛し、第2に隣人を愛すること。私達人間に備えられた霊魂はこうしてこそ成長し、神様に近付き、常に天の霊が共にいてくださり、導きを受けて幸せに生きられるようになります。

RAPT有料記事204(2017年9月4日)聖霊と愛は同じ波長だから、自分を捨てて主と兄弟を愛する者が聖霊を豊かに受けられる。

自分が「今」こうしなければいけない状況に立たされたとき、心の中で熱く祈ると即座に奇跡的なことが起こることが何度もありました。そのような時、本当に天の霊が近くしてくださっているのを感じるのです。

私も初めは神様を愛するということがよく分かりませんでしたが、祈り求めたり、12弟子の証を読ませていただきながら、「このように愛するのか」と悟っていきました。

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まずは霊的な条件を立てることの重要性を実感しました。非常に肉的な私はこの重要性を悟るのにも時間がかかりましたが、行ってみると不思議なくらい幸せな気持になるのです。

明け方外で祈るようになり、同じ河原でも、ある時はかなり奥の方に行ってみたり、ある時は西の方で、ある時は階段の下で、などと神様の霊感を受けながら、また人もいたりするので、その都度場所を変えたりして祈ってきました。

その時期、その日によって祈りたいことが違ってきます。基本的な悪の滅びと人々の救いは変わりませんが、その時の状況によってお伝えしたいことやお尋ねしたいこと、訴えたいことが変わります。

最近気付いたのですが、その時々でした祈りは、その祈りをした場所と結び合わさり「あの場所でこんな祈りを捧げたな、その祈りに対してこんな風に神様は答えて下さったな」と思い出しては温かい気持になり、自分にとっても宝のような思い出となっているのです。

例えば・・・

自分が頑なに捨てきれなかったものを、祈って捨てようと決心したことで新たな御心の道に導いてくださった時の祈り。

自分の中の罪の考えをどうしても無くしたくて必死に神様に清めてくださるように祈り求めた日。

ある日の祈りの帰り道、神様との愛を忘れないために、これをしたらどうかな。と思い付いたことがありました。けれども、こんなくだらないことをお話して神様の心情を害さないかな、と思い忘れようとしました。しかし、自分で判断してはいけないという御言葉を思い出し、恐る恐る祈ってみました。すると驚くほど神様が喜んでくださるのが分かりました。その時、RAPTさんが神様は純粋に私達人間の愛を求めていらっしゃると仰られていたことが、こういうことなのかな。と分かったような気がしました。私自身、そんな神様の一面を知ることができて、とても嬉しい気持になりました。

RAPT有料記事177(2017年6月3日)主の愛で心が満たされるまで、主の愛を求めなさい。

それだけでなく、この祈りから今まで全くやったことのないドールの道に導かれることになりました。それ以降、神様と共に難しいことも乗り越え、必要なものを与えていただいたり、時に美しさに感動し、、今も、御言葉によって神様に出会わなければ絶対にできなかった貴重な経験を日々させていただいています。

また、雪が溶けかけた中での祈りからの帰り道。防水防寒ジャケットが重く、普段から首肩周りを使いすぎているため、それを着るとある時から痛みが生じるようになりました。もう涙が出るほど痛くて、常に肩を動かしていないとならず集中して祈れない日がありました。申し訳ないと思いながら帰っていた時、ふと地面に目をやると、アスファルトが雪でキラキラ輝いていて、同時に聖霊を感じ、神様が励ましてくださっているように感じました。私はその憐れみに涙が出そうになりました。

その直後、肩甲骨がずれていたことが原因の一つだと分かり、激しい痛みから解放され、1年後、聖霊様が降臨してくださってから、何年も続いた慢性的な首肩周りのコリや痛みを解消する事ができるようになりました。

ある時は、あまりに自分が行っている御心が自分の能力不足で進まなくて、本当はもっとスピーディーに進めたいのに進まず、神様に必死で祈った日。その後、この事を解消できる驚くほどピッタリな資材を買うことができ、進められるようになりました。

また、自分が神様のために作ったお花のアレンジメントやガーデニングに囲まれてお祈りをした際、まるで天にいるかのような感覚になったこと。

その他にも、ある御心を行うために、思いを打ち明けた時、あの場所でこんなお祈りしたな、とか、

まだまだ、大きな事から小さな事まで沢山あります。

これらの祈りを行なった場所がそれぞれ違うのですが、ふと、その情景が思い出され幸せな気持になるのです。ちゃんと神様は聞いてくださり、その祈りに対してこのように叶えてくださったなと。

実際にその祈りを捧げたことで、人生の分岐点になったことが多々あったのです。

聖霊様が降臨される前は、思い出したいのに何かに阻まれているような感覚が常にありました。

しかし、聖霊様が降臨し強力に働かれるようになってから、自然とふとした瞬間に思い出すことが多くなり、心が幸せな気持で満たされるようになりました。

信仰を持ってからより、持つ前の方が圧倒的に期間が長く、持つ前に友人や家族と旅行など色んな場所に観光や遊びに行ったり、美味しいものを食べたりと沢山の経験をしました。ではその事を思い出すことがあるかといえば、不思議なことに、あの時良かったな。などと振り返ることは一切無いのです。

ですがたった1人で神様と愛を為したその思い出は宝のように私の心に、霊魂にしまわれて、ふとした瞬間に取り出され、私の心を癒してくれるのです。

RAPT有料記事929(2025年5月19日)神様から愛されたいなら、人の見ていないところで密かに義の条件を立てなさい。神様はそのような条件をどこまでも大事に思って受け取ってくださり、その人の心と生活のすべてを愛で満たしてくださる。

これらの経験からも、私達人間は本当に御言葉の通りに、神様と愛を為してこそ幸せに生きられることを確信しています。

世の人は、霊の存在を知らないので、肉の欲を満たすことばかり考え、行動します。

娘に聞きましたが、今の若い子達はインスタ映えのためなのか、ただ写真を撮るためにディズニーに行く子が多いそうです。まだ私の若い頃は乗り物を目当てに行ったり、ディズニーファンの子が沢山いましたが、

人によく見られようとして何かを行っても本当の意味で心が満たされることはありません。

私もまだ、ふと心が世の中に向かうことがありますが、悔い改めてただ神様に集中し、お祈りをしたり、神様のために御心を為したいと思って行動をしたときに心が本当に落ち着くのを感じるのです。

人間の霊魂は本来、神様の為に生きるように作られているのだなと実感します。

肉の考えだけで行ったことは滅び、死後あの世に持っていく事はできません。神様と愛を為し、霊魂を成長させてこそこの地上でも、死んでからもその霊魂を持っていくことができ、成長させた霊の次元の霊界に行くことができると教えてくださいました。

RAPT有料記事597(2021年10月11日)集中力のない人は何事も長続きしないので、永遠に神様と愛を成すことができない。そして集中力は、雑念(罪)をなくしてこそ身につくものだ。

ぜひ、神様や霊のことを御言葉で正しく学び、実践してみてほしいです。神様が喜ぶ生き方をする事が自分自身にとっても、これから救われる人にとっても最善の生き方である事を知って欲しいと切に願います。

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